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あれから20年

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今日は母方の祖母の命日。

気づけば、あれから20年がたった。

1999年の1月15日。

元成人の日で祝日だったその日の夜、
わたしと兄と母は、
居間でテレビを見ていた。

そこには、ただただ穏やかな
時間が流れていた。

そこへ祖母と暮らす叔父さん宅から電話が入り、

祖母がお風呂で亡くなった。

と。

大好きなお風呂の中で、
居眠りでもしてそのまま逝ってしまったらしい。

死に際を誰も見ていないから、
祖母の最後の瞬間の本当のことは
誰にもわからない。

でも、ただただ、
穏やかであったにちがいないと、
わたしは確信している。

なぜなら、
わたしたちもとても穏やかな休日の夜を
過ごしていたから。

だいぶ物忘れも多くなって、
ときおりデイサービスにも行くように
なっていた祖母。

それでも、
身の回りのことは自分でまだできて、

誰にも迷惑かけずに、
潔く、気持ちよく、いい気分で旅立った。
きっと。

小さな頃から、両親の代わりに
めちゃくちゃ面倒みてもらってたわたしにとって、
それはそれは悲しい出来事だった。

関東大震災を経験し、
戦争の中を生き抜き、
物を作ることが好きだった祖母。

あなたの血は脈々とわたしに流れています。

「見てみて♪
くつ下編めたよ、おばちゃん♪」









揚げ餅

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何年かぶりに、鏡餅を揚げ餅に。

鏡餅がカッチカチになりすぎて、
細かく割れなかったので、
芯が残っちゃって、
まわりはサックサクで、
中身がカッチカチなのもできちゃったけども。

それでも、揚げ餅は美味しくて、
やめなれない、とまらない、
で困る。

揚げ餅は、祖母の味。

醤油をたらして食べるのが定番だっけど、
今回は塩で。





フレディ・マーキュリー

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ロンドン・フレディ・マーキュリーの自宅前にて。
19歳のわたし(貴重画像(笑))1994.9.9

巷で話題のクィーンの映画『ボヘミアン・ラプソディ』

昨年の9月頃だったか、夫が、
クィーンの映画が11月に公開されるよ!
って教えてくれてから、心待ちにしてました。

※この先映画のネタバレもあります。

私がクィーンと出会ったのは、25年前の短大生の頃。
中学のときから洋楽を聞き始めて、
まわりに同じような趣味の洋楽を聴く友達がいないまま、
高校時代を過ぎ、
短大に入ったら、洋楽好きの新しい友達ができて、
わたしの洋楽好きがヒートアップした時代。

その中で、お金持ちの友達が(笑)
CDいっぱい持ってて、たくさん貸してくれたんだけど、
その中にクィーンがあって。

クィーンは、気になりつつも、ずっと聴けていなくて、
で、聴いたらはまった!
その友達もクィーンが大好きで、
洋楽ネタ、ブリティッシュロック&ポップネタ、
英国王室のゴシップネタとか
豊富に持ってる子だったので、とても面白かった。

わたしがクィーンに出会った25年前は、
フレディが亡くなってから2年後。

その頃、
新旧問わず、洋楽、特にイギリスのロック&ポップは
本当に良く聴いていたけど、
やはりあの時期はクィーンが一番好きだったのだと思う。

なんせ、短大2年のときの友人とのロンドン&パリへの
卒業旅行の目的のひとつが、
フレディのお墓参りをしよう!だった。

まずは、フレディのお墓がどこにあるか?という
情報を仕入れなくてはいけないわけで。

クィーンの写真集かなにかに載っていた
クィーンのファンクラブの住所へ行ってみることに。

住所を訪ねて辿り着いた建物から、
ファンクラブはすでに移転しており、
確か、そこの建物に住んでいる人が、
ファンクラブの住所を教えてくれたような、、、。

違ったかな??
あ、もしかしたら、その場所になかったから、
電話してみたのかな??
その辺は忘れました。

それでも、運良く!
新しいファンクラブの住所を入手した私たちは、
ようやくファンクラブに辿り着きます。

ファンクラブにはブロンドの可愛いお姉さんがいて、
いろいろ説明してくれたような気がする。

20190104_115827_R.jpg
@ THE OFFICIAL INTERNATIONAL QUEEN FAN CLUB 1994.9.9

そして、ファンクラブ通信のような
ここでしか買えなさそうなパンフを買い込んで、

一番聞きたかったことを聞く。

「フレディのお墓はどこにありますか?」

すると、お姉さんから、

「フレディの骨は、
ご両親がインドへ連れて帰ってしまったので、
ロンドンにお墓はないのよ。」

というような回答が!

なんと!フレディのお墓はロンドンになかった。

最大の目的を失ったわたしたちは、
それならば!と、ロンドンにあるフレディの自宅へ行ってみることに。

フレディの自宅は高いレンガの塀でぐるっと囲まれており、
中は一切見えない。

20190104_115649_R.jpg
@ FREDDIE’S HOME 1994.9.9

その高い塀は、フレディファンの落書きで埋め尽くされていた。
わたしたちも御多分にもれず、記念に落書きさせてもらい、
お花屋さんで買ってきたピンクの可愛いバラをポストイン。

そんなこんなで、フレディのお墓参りは叶わなかったけれど、
さすがにインドにまでお墓参りには行けないので、
これにて目的達成!

あれから、25年、、、。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』により、再び日本でもクィーンブームが。

先日、今までクィーンを聴いたことなかったという年下の友人が、
クィーンにはまって毎日聴いている!と話してくれて、
とってもうれしかった~。

彼女はまだ映画は見ていなかったけど、
きっと見たらまたクィーンの曲の聴こえ方が変わるのかな。

この映画を見て、思ったのは。
わたしのようなもともとのクィーン好きじゃなくて、
クィーンをぜんぜん知らない人が見たら、
どんな感想を持つのかな??ってとても気になった。

巷の噂では、クィーンを知らない若い世代にも
この映画の影響で、
クィーンファンが増えているらしいと聞いてやはりうれしい。

人間誰しも唯一無二の存在だけど、
フレディのその存在感と才能はとても独特。

この映画、わたしにとっては答え合わせのような内容で。

フレディの生い立ち、ご両親のこと、
バンドメンバーとの出会い、
長く付き合っていた彼女のこと。
晩年のフレディを支えた彼氏のこと。

わたしが中途半端に知っていたことの細部が描かれていて、
そういうことだったんだ、、、って思うシーンが多々。

いちばんの衝撃はフレディがインド人であったこと。

なぜなら
イギリス生まれのイギリス人だと思っていたから。

ご両親のどちらかがインド人で、どちらかがイギリス人なのかな、
と思っていたから。
ご両親がどちらもインド人だったのは一番の驚きだった。

でも、フレディがインド人だと知って、
わたしの中ですべてがつながった気がした。

クィーンの楽曲の独特さは、
ロックというくくりには入りきらない。

このボヘミアンラプソディのオペラの要素の素晴らしさ。
オペラなんて聴くことないけど、
スゴイ!って思っちゃう。

それで、やっぱりこの独特さって、
フレディに流れるインドの血、東洋的な要素
があったからなんじゃないか、ってわたしなりの勝手な解釈で
パズルのピースがバババババッって合った感じ。

で、この話も有名だけど、
クィーンは本国イギリスより先に日本でブレイクしたという。

クィーンの曲ってとても繊細で、東洋的な部分も感じられて、
ロックのリズムが最高で、フレディのパフォーマンスは圧倒的で。

詞には、悲しみ、喜び、怒り、楽しみの感情が溢れていて。

すごくエネルギッシュなんだけど、とても優しい、
「慈愛」みたいなものもすごく感じる。

この辺は、フレディのバイセクシャルというセクシャリティも
とても大きく影響しているんだろうな。

フレディ家族のインドからイギリスへの移住だったり、
イギリスに来てから受けた人種差別だったり。
新しい環境の中でも、
自分自身の軸をいつでもしっかりと保ち続けたフレディ。

その強さとしなやかさと、人間くささ。

この部分を、
日本人の持つ繊細な感性が一番最初にキャッチしたんだと思う。

映画の中に、日本のこと大々的には出てこないけど、

あるシーンで、

フレディが

「言葉が分からないのに楽しめているのかな?って思ってたんだ。」
(※うろ覚え)

って話す。

その後に、

その言葉の違う国の観客が、クィーンの曲を大合唱するライブ映像。

これ、日本だよね!って思った。

違うかもだけど。これも勝手に思った(笑)。

日本で愛されたクィーンもちゃんと描いてくれたんだな~って。
思っておくことにする。

わたしの中のクィーンの思い出もうひとつ。

短大を卒業してフリーターになってしばらくして、
バイト先で今の夫と出会う。

ふたりとも音楽好きという共通点があったけど、
夫は、ヘビーメタル。
わたしは、ロック。

近いようでかけ離れている(笑)

わたしはヘビーメタルは嫌い(笑)

夫はロックでは物足りない。
ヘッドバンキングをしないライブなんてありえない(笑)
という感じ。

そこで、クィーンが登場する。

クィーンは、夫も気に入って大好きになり。

ふたりの音楽での唯一の共通点となる。

クィーンの楽曲のどの曲が一番かと聞かれても
どれも好きで選べないな~って思うけど。

この曲は格別。

日本語の歌詞が入る、
手をとりあって- Teo Torriatte (Let Us Cling Together)

日本語の歌詞がまた最高に美しい。

来日時に、通訳さんに頼んで翻訳したもらったらしい。
その通訳さんの詩的な翻訳能力が素晴らしい!



以上、
わたしの出会った、クィーンとフレディ・マーキュリーの記録、覚え書き。




ケーキとたこ焼き

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忘年会 兼 誕生日会に、

久しぶりにケーキを焼く。

我ながらに美味しい!!

みんなも喜んでくれました。

生クリームは、
豆乳となたね油ときび砂糖とかぼす汁で。
植物性ではあるけど、
油の量がめちゃくちゃ多いので、
もうちょっと油量を減らしたいな~と、
今後の課題にしてみよう。

お菓子作り。

基本的に腰が重い。
気がのったときだけ。
よっこらしょ。

でも、作りはじめると楽しかったりする(笑)。

このケーキも焼くまではよっこらしょだけど、
最後のデコレーションのときに、
楽しくてめちゃくちゃテンションがあがる!

生クリームを絞り出すのが楽しい。
庭のハーブを穫ってきて飾るのも楽しい。

腰が重いし、めんどくさいなーって、
ケーキ屋さんで買ってもいいかな、とも思ったけど、

よっこらしょして、よかった!

買ったケーキより、
わたしのケーキが断然美味しい!(笑)

そして、たこ焼き。

先日、友人宅でしたタコパが楽しくて美味しすぎて、再び。

みんなが持ち寄った手料理も美味しくて幸せ。

女3人、男2人。
アラフォー女3人のトークは、
みんなで同時に別々の話をする!(笑)
男たちは戸惑う(笑)。

この世でいちばん自由な生き物はおばちゃんだと思う。

年を取るのは楽しい。

ともだちは宝物。
家族のようなともだちに感謝しかない。

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うちも、たこ焼き焼き機を買うことにする!(笑)




今朝の雲

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パノラマで撮りました。





富士山の性別

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先日、横浜から佐賀への機上にて。

富士山に出会えるか、出会えないか、
出会えてもどのくらいの距離か、
雲の様子はどうか、
どんな角度からか?
というその日の状況より、
いろんな富士山を楽しめますが。

今回は、この角度でした。

最高!!

さて。

今回の飛行機は、窓側と通路側の真ん中。
つまり、窓側のとなりなので、外の景色は楽しめないなあ。
今回は行きも真ん中だったな~、なんて。

搭乗がはじまって、自分の席を見つけると
すでに座っていた窓側の女性が少し神経質そうで、、、
う~む、、、とちょっとどんより。
2時間くらいのフライトだし、ま、いっか。

で、離陸して~、しばらくして~、

機内の様子に変化を感じたとき、
富士山が見えるとのアナウンスが。

窓際の女性は、スマホでシャッターチャンスを
狙っているけれど、わたしの席から窓のむこうを
眺めてみても富士山はいない、、、。

どこにいるのか、、、富士山。

で、少し身体を持ち上げて、
窓のむこうを上からのぞき込んでみると、
真下!にいたよ富士山。

わー、きゃー!!すげー!!

という心の中の声。

これはわたしも写メを撮りたい!と。

隣の女性に、
「写真撮ってもいいですか?」と尋ねました。
(撮影のときに、手とスマホが女性ほうへ
のめり込むことになって失礼なので。)

すると、その女性には
「写真を撮ってもらっていいですか?」
と聞こえたようで、

すぐに快く承諾してくれて、
サッとわたしのスマホを受け取って
上手く撮れるようにと角度を考えて、
数回シャッターを押してくれました。

で、その女性が撮ってくれたものが上の画像です。
素敵です!

写真て、肉眼よりもだいぶ小さく写りますよね。
肉眼では、登ってる人見えるんじゃねー!って
いうくらい真下に大きく見えました。
登山道のギザギザとかも見えたし。

結果的にお隣の女性は、めちゃくちゃ良い方で、、、
ごめんなさい、、、。
素敵な写真を撮ってくださり本当にありがとうございました。

前の席の、飛行機に乗るのはじめて!!みたいな
おばちゃま3人組もノリノリになってて。

もちろん、わたしもテンション上がって、
富士山ってやっぱスゲーな!って思った次第です。
機内の空気が変わった瞬間でした。

この日の前日に会った友人と話した内容で。

先日まで数週間、パキスタンに滞在していた彼女が、

パキスタンの山は男性性がとても強いと話してくれました。
(クリスタルの山と言ってたけど、山の名前は忘れました、、、)

で、その山と対になる女性性を表す山が、
アメリカにあるシャスタ山だと。
こちらもクリスタルの山だと。

私はこの話を聞いて。

自分の体験を思い出しました。

6年前、京都から横浜へ、車での帰宅途中でした。

新東名を通った時、
目の前にめちゃくちゃ綺麗なドデカイ富士山が現れました。

わ~~~!とウキウキして写真を撮り、

そのあと走り進むと、

また違う角度から富士山が現われて、真裏になるのかな??

また会えた~!とまたウキウキして写真を撮り。

その時に感じたのか、
あとで写真を並べてみて感じたのかは
覚えてないのですが、、、。

同じ富士山なのに、出会った角度が違うだけで、
まったく表情が違ったのです。

最初に現れたときの富士山は男性的な印象。
次に現われたときの富士山は女性的な印象。

富士山は、女性性と男性性を内包しているんだ、
どちらの顔も持っているんだな~と感じたわけです。

それで、自分の中だけで、
父富士、母富士と名付けました(笑)

その話を彼女にすると、

富士山に象徴されるように、やはり日本というのは
女性性と男性性のバランスをとてもうまく保っている国ということだね~。

と。

細かく見ていったら、違うかもしれないけれど、
海外をたくさん見てきている彼女から見ると、
日本のバランスは、とても素晴らしいと。

この話は、話進むとどこまでも続きていきそうなので、
この辺で(笑)

人間も、姿は女性であれども、姿は男性であれども、
やはり、その精神の中に、女性性、男性性のどちらも含まれるわけで、
そのふたつのバランスを富士山は見せてくれているのかな~。

富士山ネタでもうひとつ。

富士山てほんとすごいな!大好きだな!!って
横浜生まれのわたしは子どものときから
想い続けてきたわけですが。

富士山のある静岡出身のともだちに、

毎朝、登校するときに、
毎朝、富士山を見てたけど、
毎朝、感動してた!!

と聞いたことがあって。

やっぱりやっぱり富士さんてスゲー!と思いました。

そんな私は、生まれて43年、
富士山に一度も登ったことはありません。

今後も登る予定はないです、、、。

"富士山は 遠くで眺めて 拝むもの"

とは、わたしの言葉です(笑)

死ぬまでにいつかは登るのかなあ。

それは誰にも分りません、、、(笑)

6年前のこのブログ記事に、
父富士、母富士のこと書いてます。
記事の最後のほう。
ちなみに、夫の工房Baum のはじまりも見れます。
イベント初出展でした。今見ると、作品こんだけー!?
って感じ。この6年の軌跡、、、。
http://tanneto.blog.fc2.com/blog-entry-24.html



大富士

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大富士という名の渋柿。

大家さんが植えたわけでもない、
捨てた種から勝手に育ったであろう柿の木。

ずいぶん大きくなりました。

今日、今年の初物をいただくことに。

この時点ですでにふにふに柔らかい。

ほぼ完熟だな、と思って切って食べました。

美味しい!!けど、ほんのちょっと渋かった(笑)


いつも家にいてほしい

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母親のこと。

共働きの両親のもとに生まれたわたし。

0歳から保育園に預けられて6年保育のあと小学校へ。

両親が共働きなのは、うちにお金がないからだと思って、
一生懸命働いてくてれるんだと思って、
わたしは淋しくても我慢、お母さんが家にいつもいなくても我慢。

仕事と家事でいつも大変なお母さん、
夫婦関係も悪くていつも大変そうなお母さん。

そんなお母さんをこれ以上大変にさせないように、
困らせないようにずっと我慢してきた。

そんな、我慢を身に着けて大人になったわたし。
30歳を過ぎて、母親から衝撃の言葉を聞く。

「 お父さんのお給料だけでも生活できたけど、
子どもが好きじゃなかったから保育園に預けた。 」

えっ!!!!!!!!!
うちにお金がないから二人で一生懸命働いて、
だから、小さなわたしは、淋しくても我慢しなきゃいけないと思って、
ずっと我慢してがんばったんだけど??

えっ!!!!!!!!!
違ったの!!??
それなのにわたしは0歳から保育園に預けられたの??
じゃあ、あの我慢はなんだったの!!??

子どもが好きじゃないから、、、、、、って。

えっ!!!!!!!!!
わたしのことも好きじゃないってこと!!??

あなたの子どもなのに!!??

頭の中が混乱したし、
怒りと悲しみが奥底には溢れたけど、
精神的な不安定さを持つ母に対して、
自分の怒りと悲しみはぶつけられず、、、その場は流した。

お母さんを困らせてはいけない、
お母さんを悲しませてはいけない、
という子どもの頃に自分で作ったルールのままに。

だからと言って、
すごく良い子をしてきたわけでもないし、
それなりに反抗期もあったし、
くそばばあとかも言ったし。

けれど、
それは表面的な反抗でしかなかったんだろうな、と今は思う。
わたしが本当に本当に本当にお母さんに一番言いたかったこと、
は、たぶん一度も言えてない。

「お母さん、いつも家にいてほしい。」 ってこと。

働かなければいけないんだ。
そうしないと生活していけないんだ。
うちは大変なんだ。

と信じていたから。

それだけは言ってはいけないって思い込んできた。

この言いいたくて言えなかったことをずっと抱えたまま生きてきて、
43歳の今、ようやくその本当に言いたかったことに気づいた。

そして、

我慢してきた小さなわたしに、
淋しかったね、よく我慢したね、よくがんばったね。
って言えるようになった。

本当は我慢しなくてもよかったんだということ、
淋しいのは嫌だ!と怒ってもよかったんだということ。

でも、小さなわたしはそれができなかったということ。

ぜんぶまるごと、それはそれでオッケーだったと認めてあげる。

子どもが好きじゃないという母は、
もしも仕事を辞めて、四六時中子どもと一緒にいたら
育児ノイローゼになったかもしれないし。
ならなかったかもしれないけれど、
保育園に預けるというその選択は、そのときの彼女にとって最善だったんだろうと思う。

今、これを書いていて、「我慢」という漢字を見て、「慢心」が浮かんだ。

わたしは、我慢するわたしを、可哀そうなわたし。
我慢していい子なわたし。って思ってたんだ。
我慢は美徳、わたしは悲劇のヒロイン。

で、ググってみたら、やはり。

【我慢(がまん)とは、仏教の煩悩の一つ。強い自己意識から起こす慢心のこと。】
by Wikipedia

我慢を繰り返すことで、わたしの自己意識はどんどん強くなり、
つまり、他者より自分が偉いという意識を育て続けて43歳(笑)
ひどい!!(笑)

他者より自分が偉い、の他者はこのとき母親である。

そのわたしの我慢は、自分より母親を下に見て、
もともと自己肯定感の低い母親は、そのままわたしの下に入った。

わたしが何かに対して怒れば、母親は謝ってきたし、
わたしのご機嫌を伺うようなところがいまでもある。

お金がないから共働きで働かなければいけないわが家、お金がない、、、の
固定観念は、小学3年生まで六畳二間のアパートに家族4人で住んでいて、
まわりの友達の2階建てや3階建ての大きな家に遊びに行くことで、
うちはビンボーという固定観念が勝手に生まれたんだと思う。

小学3年生のときに分譲の集合住宅に引っ越して、部屋数も増えて、ビンボー感はなくなった。
相変わらず、共働きだったけれど、欲しいものは買ってもらえたし、
やりたいことにお金はいつも出してもらえた。金銭的な不自由はなかった。

お母さんが家にいなくて淋しかったけど、
お金の不自由はなかった。

お母さんに家にいて欲しい、という本音は言えなかったけど、
必要なお金は与え続けられて今まできた。

(これ三田佳子さんと息子さんの関係と同じだよね。
大女優で多忙な母だけど、お金には不自由がない。
子ども目線からみると、お母さんもっと僕を見て!もっと愛して!
という叫びを感じる。)

小さなわたしが、

「お母さんが家にいつもいなくて淋しい。
お母さんにいつも家にいて欲しい。」

って本音が言えていたら、

お母さんは仕事を辞めたのだろうか?
それとも、辞めなかっただろうか、、、。

結果はどちらでもいいんだろう。

わたしが本音を言えた、という行動に意味があって。
本音を言えたという事実に意味があって、
そのあとの母親との関係や、
他者との関わり、自己形成が変わったんだろうね。

何度も言うけど(笑)
小さな頃から我慢をし続けたことで、
本音を隠していい人を装い、
慢心を育て続け、悲劇のヒロインになって43歳まできた!(笑)

その本音は、今も母親本人には言えてないけど、

でも、今気づけた。

そして、そんな人生を歩んできた自分を否定しない、
罪悪感を持たない、すべてはオッケーなんだと認めてあげる。

もしも、罪悪感を持っても、自己否定を感じても、
それを感じればよいだけでただそれだけ。

自分で自分を傷つけないこと。

今回、ここまで自分と向き合うきっかけになったのは、
子宮内膜症とチョコレート嚢胞によるすんごい痛みで5月に体調を崩したから。

3年前にも同じ症状で体調を崩していて、
さらにさらにさかのぼると、小学1年生のときに、
虫垂炎で入院し手術をしている。

この3回とも、場所はすべて右下腹部、症状はものすごい痛み。

右下腹部に症状が現れるというのは、

女性性の否定や母親との関係、という意味合いがあると知り、

とてもとても納得したし、
うっすらとそれを感じることがあっても、
けっきょく自分と向き合うことを中途半端に終わらせてきた。

そして、痛みは、怒り。
奥底にため込んで抑えていた怒りが、痛みとして現れる。
怒りの感情のその奥にあるのは悲しみである。

お母さんが家に居ない淋しさや悲しみを溜め込んで、
その通りの病気になった1年生のわたし。

結果的に、1ヶ月近く入院してもっと淋しくなった、という。

今回の子宮内膜症も病院で手術をすすめられたけど、
自然療法が好きだし、手術は怖い、したくない!っていう
思いがあったから、手術ではなく、自然療法を選んだ。

淋しい思いをさせられたことに対する母親への怒りの感情を
右下腹部の痛みととともに吐き出すってこともやってみた。
叫んでみたりして。

この病気になった原因が、これだけ理解できるなら、
手術をしなくても、自分次第で治癒を進められるってことだもんね。

今、実践している自然療法はこの3本立て。

ホメオパシー
インナーチャイルドワーク
酵素風呂

あと、happyちゃんの宇宙理論にはとっても助けられている!

でもでも、西洋医学も病院も必要で、なくてはならないもの。
時と場合。
それは自分自身に答えを求めて選ぶこと。
 
5月の体調不良から、4ヶ月経って、経過は良好。
まだ4ヶ月なのか、もっともっと経っている感覚。
普段に痛みを感じることはない。
排卵痛が少しと、生理痛も少し。
チョコレート嚢胞も小さくなっている。
元気です。

本当の自分を生きること。

嫌は嫌と言い、
好きは好きと言う。

そして、
その嫌と好きは本当なのか、
自分以外の外側からの刷り込みで後付けされたものではないのか、、、。
本当の本当の自分の内側の奥底にある嫌と好きを知っていくこと。

掘り出せばまだまだあるし、
あっちにもこっちにもつながっていく。

それを紐解くことも楽しみながら。

自分を最優先にして生きていこう。

Tomomi


Grace VanderWaal

Grace VanderWaal

グレース・ヴェンダーウオール

アメリカズ ゴッ ト タレントという、
アメリカのオーディション番組が好きで、
youtubeでちょいちょい見ては、
感動して泣いたりしています(笑)

子どもたちは、可愛くてみんな天才でびっくりする。
それを見守る親たちの表情や涙にまた感動したり。 

おとといも見ていたら。

若干12歳のグレース・ヴェンダーウォールに
くぎ付けになってしまった。

曲も詩もオリジナル。
ウクレレを自分で弾いて歌う。

ハスキーヴォイスと、抜きんでる歌のうまさ。
シャウトがたまらない、、、。


勝ち抜いていって、
ファイナルステージは『Clay』という曲。
最高です。



一番最初のオーディション。



オーディションは2016年で2年前なので、今は14歳かな。

検索したら、オーディションで優勝した後、
3ヶ月後には全米デビューしていて、
来日もすでにしていた~。

いつかの来日公演を心待ちにします。

……………


【"Clay" by Grace Vanderwaal】

You see a girl in the hallway
And then you whisper to your friend, "Who is she anyway?"
You forgot what she looks like in like a day
But your words don't hurt me
I will be okay

'Cause you don't hurt me
I won't mold to..


Your silly words I won't live inside your world
Because your punches and your names
All your jokes and stupid games
They don't work
They don't hurt
Watch them just go right through me
Because they mean nothing to me

Try to change my shape
But baby I'm not clay
Sorry not today
'cause baby I'm not..

Try to change my shape
But baby I'm not clay
Sorry not today
'cause baby I'm not clay

I'm not clay


【歌詞の日本語訳】(すみません、詩的に訳せません。)
あなたは廊下で女の子を見る
友達に「彼女誰だっけ?」と小声で聞く
一日もたてば、彼女の見かけも忘れてた
でも、そんなあなたの言葉に私は傷つかない
私は大丈夫
私はあなたに傷つけられたりしない


あなたの言葉は、私を変えられない(あなたの思う形にはならない)
私はあなたの世界にはいない
あなたのパンチ、名前
冗談やバカなゲーム
そんなの通じない
そんなことで傷つけることはできない
そんなことは、私をすっと通り抜ける
だってそんなこと私にとって何の意味もないから

わたしの形を変えようとしても

わたしは 粘土じゃないんだから

今日は、無理
だって 私は粘土じゃないの

……………

歌詞と訳詞は、ことりのかけらさんから拝借しました。
ありがとうございます。

ことりのかけら
発見したこと気づいたことを発信中~帰国生・凸凹発達の教育情報も~
https://www.kotorino-kakera.com/entry/GraceVanderwaalclay



ペルセウス座流星群2018夏

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山登り経験豊富な友人家族に
誘ってもらって、
昨夕、黒髪山に登ってきました。

目的は、夕陽と流れ星。
夕方から登って、下山は夜の暗闇の中。

自分で夜の登山に行く勇気はないので、
貴重な経験をさせてもらえてとてもうれしい。

黒髪山の鎖場も、
暗闇のほうが怖くないことに気付く。
まわりも下も見えないから(笑)

夕陽と月と星空。

ペルセウス座流星群の流れ星。

遠くの町の花火大会。

お山の頂きで、
裸足になって(裸じゃないよ)
みんなでゴロリン寝転がって鑑賞会。

星座に詳しくなったら、
星空を眺めるのがもっと楽しくなるんだろうなーって、また新しい発見。

よき夏の思い出をありがとう!


西の空・日の入り
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夕焼け
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東の空・面白い雲の形
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西の空・月の出
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お月様と金星とうっすら町の明かり
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