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いつも家にいてほしい

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母親のこと。

共働きの両親のもとに生まれたわたし。

0歳から保育園に預けられて6年保育のあと小学校へ。

両親が共働きなのは、うちにお金がないからだと思って、
一生懸命働いてくてれるんだと思って、
わたしは淋しくても我慢、お母さんが家にいつもいなくても我慢。

仕事と家事でいつも大変なお母さん、
夫婦関係も悪くていつも大変そうなお母さん。

そんなお母さんをこれ以上大変にさせないように、
困らせないようにずっと我慢してきた。

そんな、我慢を身に着けて大人になったわたし。
30歳を過ぎて、母親から衝撃の言葉を聞く。

「 お父さんのお給料だけでも生活できたけど、
子どもが好きじゃなかったから保育園に預けた。 」

えっ!!!!!!!!!
うちにお金がないから二人で一生懸命働いて、
だから、小さなわたしは、淋しくても我慢しなきゃいけないと思って、
ずっと我慢してがんばったんだけど??

えっ!!!!!!!!!
違ったの!!??
それなのにわたしは0歳から保育園に預けられたの??
じゃあ、あの我慢はなんだったの!!??

子どもが好きじゃないから、、、、、、って。

えっ!!!!!!!!!
わたしのことも好きじゃないってこと!!??

あなたの子どもなのに!!??

頭の中が混乱したし、
怒りと悲しみが奥底には溢れたけど、
精神的な不安定さを持つ母に対して、
自分の怒りと悲しみはぶつけられず、、、その場は流した。

お母さんを困らせてはいけない、
お母さんを悲しませてはいけない、
という子どもの頃に自分で作ったルールのままに。

だからと言って、
すごく良い子をしてきたわけでもないし、
それなりに反抗期もあったし、
くそばばあとかも言ったし。

けれど、
それは表面的な反抗でしかなかったんだろうな、と今は思う。
わたしが本当に本当に本当にお母さんに一番言いたかったこと、
は、たぶん一度も言えてない。

「お母さん、いつも家にいてほしい。」 ってこと。

働かなければいけないんだ。
そうしないと生活していけないんだ。
うちは大変なんだ。

と信じていたから。

それだけは言ってはいけないって思い込んできた。

この言いいたくて言えなかったことをずっと抱えたまま生きてきて、
43歳の今、ようやくその本当に言いたかったことに気づいた。

そして、

我慢してきた小さなわたしに、
淋しかったね、よく我慢したね、よくがんばったね。
って言えるようになった。

本当は我慢しなくてもよかったんだということ、
淋しいのは嫌だ!と怒ってもよかったんだということ。

でも、小さなわたしはそれができなかったということ。

ぜんぶまるごと、それはそれでオッケーだったと認めてあげる。

子どもが好きじゃないという母は、
もしも仕事を辞めて、四六時中子どもと一緒にいたら
育児ノイローゼになったかもしれないし。
ならなかったかもしれないけれど、
保育園に預けるというその選択は、そのときの彼女にとって最善だったんだろうと思う。

今、これを書いていて、「我慢」という漢字を見て、「慢心」が浮かんだ。

わたしは、我慢するわたしを、可哀そうなわたし。
我慢していい子なわたし。って思ってたんだ。
我慢は美徳、わたしは悲劇のヒロイン。

で、ググってみたら、やはり。

【我慢(がまん)とは、仏教の煩悩の一つ。強い自己意識から起こす慢心のこと。】
by Wikipedia

我慢を繰り返すことで、わたしの自己意識はどんどん強くなり、
つまり、他者より自分が偉いという意識を育て続けて43歳(笑)
ひどい!!(笑)

他者より自分が偉い、の他者はこのとき母親である。

そのわたしの我慢は、自分より母親を下に見て、
もともと自己肯定感の低い母親は、そのままわたしの下に入った。

わたしが何かに対して怒れば、母親は謝ってきたし、
わたしのご機嫌を伺うようなところがいまでもある。

お金がないから共働きで働かなければいけないわが家、お金がない、、、の
固定観念は、小学3年生まで六畳二間のアパートに家族4人で住んでいて、
まわりの友達の2階建てや3階建ての大きな家に遊びに行くことで、
うちはビンボーという固定観念が勝手に生まれたんだと思う。

小学3年生のときに分譲の集合住宅に引っ越して、部屋数も増えて、ビンボー感はなくなった。
相変わらず、共働きだったけれど、欲しいものは買ってもらえたし、
やりたいことにお金はいつも出してもらえた。金銭的な不自由はなかった。

お母さんが家にいなくて淋しかったけど、
お金の不自由はなかった。

お母さんに家にいて欲しい、という本音は言えなかったけど、
必要なお金は与え続けられて今まできた。

(これ三田佳子さんと息子さんの関係と同じだよね。
大女優で多忙な母だけど、お金には不自由がない。
子ども目線からみると、お母さんもっと僕を見て!もっと愛して!
という叫びを感じる。)

小さなわたしが、

「お母さんが家にいつもいなくて淋しい。
お母さんにいつも家にいて欲しい。」

って本音が言えていたら、

お母さんは仕事を辞めたのだろうか?
それとも、辞めなかっただろうか、、、。

結果はどちらでもいいんだろう。

わたしが本音を言えた、という行動に意味があって。
本音を言えたという事実に意味があって、
そのあとの母親との関係や、
他者との関わり、自己形成が変わったんだろうね。

何度も言うけど(笑)
小さな頃から我慢をし続けたことで、
本音を隠していい人を装い、
慢心を育て続け、悲劇のヒロインになって43歳まできた!(笑)

その本音は、今も母親本人には言えてないけど、

でも、今気づけた。

そして、そんな人生を歩んできた自分を否定しない、
罪悪感を持たない、すべてはオッケーなんだと認めてあげる。

もしも、罪悪感を持っても、自己否定を感じても、
それを感じればよいだけでただそれだけ。

自分で自分を傷つけないこと。

今回、ここまで自分と向き合うきっかけになったのは、
子宮内膜症とチョコレート嚢胞によるすんごい痛みで5月に体調を崩したから。

3年前にも同じ症状で体調を崩していて、
さらにさらにさかのぼると、小学1年生のときに、
虫垂炎で入院し手術をしている。

この3回とも、場所はすべて右下腹部、症状はものすごい痛み。

右下腹部に症状が現れるというのは、

女性性の否定や母親との関係、という意味合いがあると知り、

とてもとても納得したし、
うっすらとそれを感じることがあっても、
けっきょく自分と向き合うことを中途半端に終わらせてきた。

そして、痛みは、怒り。
奥底にため込んで抑えていた怒りが、痛みとして現れる。
怒りの感情のその奥にあるのは悲しみである。

お母さんが家に居ない淋しさや悲しみを溜め込んで、
その通りの病気になった1年生のわたし。

結果的に、1ヶ月近く入院してもっと淋しくなった、という。

今回の子宮内膜症も病院で手術をすすめられたけど、
自然療法が好きだし、手術は怖い、したくない!っていう
思いがあったから、手術ではなく、自然療法を選んだ。

淋しい思いをさせられたことに対する母親への怒りの感情を
右下腹部の痛みととともに吐き出すってこともやってみた。
叫んでみたりして。

この病気になった原因が、これだけ理解できるなら、
手術をしなくても、自分次第で治癒を進められるってことだもんね。

今、実践している自然療法はこの3本立て。

ホメオパシー
インナーチャイルドワーク
酵素風呂

あと、happyちゃんの宇宙理論にはとっても助けられている!

でもでも、西洋医学も病院も必要で、なくてはならないもの。
時と場合。
それは自分自身に答えを求めて選ぶこと。
 
5月の体調不良から、4ヶ月経って、経過は良好。
まだ4ヶ月なのか、もっともっと経っている感覚。
普段に痛みを感じることはない。
排卵痛が少しと、生理痛も少し。
チョコレート嚢胞も小さくなっている。
元気です。

本当の自分を生きること。

嫌は嫌と言い、
好きは好きと言う。

そして、
その嫌と好きは本当なのか、
自分以外の外側からの刷り込みで後付けされたものではないのか、、、。
本当の本当の自分の内側の奥底にある嫌と好きを知っていくこと。

掘り出せばまだまだあるし、
あっちにもこっちにもつながっていく。

それを紐解くことも楽しみながら。

自分を最優先にして生きていこう。

Tomomi


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