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フレディ・マーキュリー

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ロンドン・フレディ・マーキュリーの自宅前にて。
19歳のわたし(貴重画像(笑))1994.9.9

巷で話題のクィーンの映画『ボヘミアン・ラプソディ』

昨年の9月頃だったか、夫が、
クィーンの映画が11月に公開されるよ!
って教えてくれてから、心待ちにしてました。

※この先映画のネタバレもあります。

私がクィーンと出会ったのは、25年前の短大生の頃。
中学のときから洋楽を聞き始めて、
まわりに同じような趣味の洋楽を聴く友達がいないまま、
高校時代を過ぎ、
短大に入ったら、洋楽好きの新しい友達ができて、
わたしの洋楽好きがヒートアップした時代。

その中で、お金持ちの友達が(笑)
CDいっぱい持ってて、たくさん貸してくれたんだけど、
その中にクィーンがあって。

クィーンは、気になりつつも、ずっと聴けていなくて、
で、聴いたらはまった!
その友達もクィーンが大好きで、
洋楽ネタ、ブリティッシュロック&ポップネタ、
英国王室のゴシップネタとか
豊富に持ってる子だったので、とても面白かった。

わたしがクィーンに出会った25年前は、
フレディが亡くなってから2年後。

その頃、
新旧問わず、洋楽、特にイギリスのロック&ポップは
本当に良く聴いていたけど、
やはりあの時期はクィーンが一番好きだったのだと思う。

なんせ、短大2年のときの友人とのロンドン&パリへの
卒業旅行の目的のひとつが、
フレディのお墓参りをしよう!だった。

まずは、フレディのお墓がどこにあるか?という
情報を仕入れなくてはいけないわけで。

クィーンの写真集かなにかに載っていた
クィーンのファンクラブの住所へ行ってみることに。

住所を訪ねて辿り着いた建物から、
ファンクラブはすでに移転しており、
確か、そこの建物に住んでいる人が、
ファンクラブの住所を教えてくれたような、、、。

違ったかな??
あ、もしかしたら、その場所になかったから、
電話してみたのかな??
その辺は忘れました。

それでも、運良く!
新しいファンクラブの住所を入手した私たちは、
ようやくファンクラブに辿り着きます。

ファンクラブにはブロンドの可愛いお姉さんがいて、
いろいろ説明してくれたような気がする。

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@ THE OFFICIAL INTERNATIONAL QUEEN FAN CLUB 1994.9.9

そして、ファンクラブ通信のような
ここでしか買えなさそうなパンフを買い込んで、

一番聞きたかったことを聞く。

「フレディのお墓はどこにありますか?」

すると、お姉さんから、

「フレディの骨は、
ご両親がインドへ連れて帰ってしまったので、
ロンドンにお墓はないのよ。」

というような回答が!

なんと!フレディのお墓はロンドンになかった。

最大の目的を失ったわたしたちは、
それならば!と、ロンドンにあるフレディの自宅へ行ってみることに。

フレディの自宅は高いレンガの塀でぐるっと囲まれており、
中は一切見えない。

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@ FREDDIE’S HOME 1994.9.9

その高い塀は、フレディファンの落書きで埋め尽くされていた。
わたしたちも御多分にもれず、記念に落書きさせてもらい、
お花屋さんで買ってきたピンクの可愛いバラをポストイン。

そんなこんなで、フレディのお墓参りは叶わなかったけれど、
さすがにインドにまでお墓参りには行けないので、
これにて目的達成!

あれから、25年、、、。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』により、再び日本でもクィーンブームが。

先日、今までクィーンを聴いたことなかったという年下の友人が、
クィーンにはまって毎日聴いている!と話してくれて、
とってもうれしかった~。

彼女はまだ映画は見ていなかったけど、
きっと見たらまたクィーンの曲の聴こえ方が変わるのかな。

この映画を見て、思ったのは。
わたしのようなもともとのクィーン好きじゃなくて、
クィーンをぜんぜん知らない人が見たら、
どんな感想を持つのかな??ってとても気になった。

巷の噂では、クィーンを知らない若い世代にも
この映画の影響で、
クィーンファンが増えているらしいと聞いてやはりうれしい。

人間誰しも唯一無二の存在だけど、
フレディのその存在感と才能はとても独特。

この映画、わたしにとっては答え合わせのような内容で。

フレディの生い立ち、ご両親のこと、
バンドメンバーとの出会い、
長く付き合っていた彼女のこと。
晩年のフレディを支えた彼氏のこと。

わたしが中途半端に知っていたことの細部が描かれていて、
そういうことだったんだ、、、って思うシーンが多々。

いちばんの衝撃はフレディがインド人であったこと。

なぜなら
イギリス生まれのイギリス人だと思っていたから。

ご両親のどちらかがインド人で、どちらかがイギリス人なのかな、
と思っていたから。
ご両親がどちらもインド人だったのは一番の驚きだった。

でも、フレディがインド人だと知って、
わたしの中ですべてがつながった気がした。

クィーンの楽曲の独特さは、
ロックというくくりには入りきらない。

このボヘミアンラプソディのオペラの要素の素晴らしさ。
オペラなんて聴くことないけど、
スゴイ!って思っちゃう。

それで、やっぱりこの独特さって、
フレディに流れるインドの血、東洋的な要素
があったからなんじゃないか、ってわたしなりの勝手な解釈で
パズルのピースがバババババッって合った感じ。

で、この話も有名だけど、
クィーンは本国イギリスより先に日本でブレイクしたという。

クィーンの曲ってとても繊細で、東洋的な部分も感じられて、
ロックのリズムが最高で、フレディのパフォーマンスは圧倒的で。

詞には、悲しみ、喜び、怒り、楽しみの感情が溢れていて。

すごくエネルギッシュなんだけど、とても優しい、
「慈愛」みたいなものもすごく感じる。

この辺は、フレディのバイセクシャルというセクシャリティも
とても大きく影響しているんだろうな。

フレディ家族のインドからイギリスへの移住だったり、
イギリスに来てから受けた人種差別だったり。
新しい環境の中でも、
自分自身の軸をいつでもしっかりと保ち続けたフレディ。

その強さとしなやかさと、人間くささ。

この部分を、
日本人の持つ繊細な感性が一番最初にキャッチしたんだと思う。

映画の中に、日本のこと大々的には出てこないけど、

あるシーンで、

フレディが

「言葉が分からないのに楽しめているのかな?って思ってたんだ。」
(※うろ覚え)

って話す。

その後に、

その言葉の違う国の観客が、クィーンの曲を大合唱するライブ映像。

これ、日本だよね!って思った。

違うかもだけど。これも勝手に思った(笑)。

日本で愛されたクィーンもちゃんと描いてくれたんだな~って。
思っておくことにする。

わたしの中のクィーンの思い出もうひとつ。

短大を卒業してフリーターになってしばらくして、
バイト先で今の夫と出会う。

ふたりとも音楽好きという共通点があったけど、
夫は、ヘビーメタル。
わたしは、ロック。

近いようでかけ離れている(笑)

わたしはヘビーメタルは嫌い(笑)

夫はロックでは物足りない。
ヘッドバンキングをしないライブなんてありえない(笑)
という感じ。

そこで、クィーンが登場する。

クィーンは、夫も気に入って大好きになり。

ふたりの音楽での唯一の共通点となる。

クィーンの楽曲のどの曲が一番かと聞かれても
どれも好きで選べないな~って思うけど。

この曲は格別。

日本語の歌詞が入る、
手をとりあって- Teo Torriatte (Let Us Cling Together)

日本語の歌詞がまた最高に美しい。

来日時に、通訳さんに頼んで翻訳したもらったらしい。
その通訳さんの詩的な翻訳能力が素晴らしい!



以上、
わたしの出会った、クィーンとフレディ・マーキュリーの記録、覚え書き。




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